リーフレットを作成しました。

いつもお世話になっている能登島ダイビングリゾートさんの

A4三つ折りリーフレットを作成させて頂きました。

 

約1ヶ月半、ひたすら打ち合わせを重ね、

途中水中写真家のかたのフォローもあり、素敵なリーフレットとなりました。

(少しイラストもいれました!)

 

写真は能登島ダイビングリゾートの方が撮ったものです。

 

能登島は石川県の能登半島の真ん中に浮かぶ島です。

透明度、海藻の美しさ、白砂と世界でもまれな好条件がそろった海を

みることができます。

私も何度か潜らせて頂いているのですが、魚の行動に優しさをもらえます。

 

興味のある方、是非チェックしてみてくださいね。

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夜、春ピクニック

打ち合わせのため、あるお宅にお邪魔していたら

隣の「なごみ茶屋」のお母さんが天ぷらを持ってきた。

 

なごみ茶屋の天ぷらは美味しい。

椿の花に天ぷらは、こちらで初めて頂いた。

 

準備しておくから帰りに寄りな!となごみのお母さん。

 

そして頂いたのが春のピクニックのようなお弁当。

 

ご飯には塩漬けのかわいらしいお花。

天ぷら御前にはふきのとうにセリ?と人参、椿の花の天ぷら。

具が沢山入ったキッシュ。

そしてワラビも!大根も..!

 

食べ物で春気分。

 

全てを出し切ったのでは?と思う仕事がちょこちょこ。

出し切ったから次の仕事までパワーを蓄えたいところ。

そんな時にこんなパワーが詰まったお弁当。

 

手仕事が溢れてる。

 

 

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3.11

2011年3月11日、私は福島県郡山市にいました。

 

地震動揺をしてる私を隠すことに必死でした。

 

アパートに戻ると断水。

 

テレビでは真っ黒な津波と福島第一原子力発電所の危機的な状況。

 

snsで皆の状況を確かめ、

断水は自分の家だけだと思っていたのでトイレを借りに走り回り、

数時間かけて給水所で水を確保し、

電話がつながって親しい人の声にホッとし、

日々深刻化する原発問題のテレビを前に動けなくなっていました。

 

会社のビルの点検のため一週間の休み。

 

5日目に知人に送ってもらって宮城の実家へ帰りました。

 

実家には家が津波の被害をうけた親戚が集まっており、

悲しい顔が一瞬で私のもとにきて悲しい気持ちになりました。

 

それでも毎日を過ごさなければいけないので

水をくみ、ご飯をつくり、食べ、津波被害にあった亘理の親戚の家に行く。

 

実家に戻った二泊三日、非現実な毎日の中、

必死に幸せな風景を探している私がいました。

 

夕飯、12人が食卓を囲んでいるときおばあちゃんが言いました。

「昔はこんな風に沢山の家族でご飯を食べてた」

 

いつもあちらこちら痛いといってたりご飯を食べなかったりする

おばあちゃんの元気な姿に幸せをもらいました。

 

家族が無事だったこと。

3月の春めいた晴れの日に洗濯を干すこと。

その下、少しの水で食器を洗うこと。

 

断水と停電が続いていた実家でそんなことをしてたら

気づかなかった幸せがあちこちで舞ってました。

 

 

2013年4月、福島県郡山市から石川県七尾市へ引っ越しました。

 

どんな情報も信じられず、放射線量が高い中での生活に苦しさを覚えたこと

震災を機に自分が望む暮らしに変化があったこと。

 

 

2014年3月11日

東北から離れてもうすぐ1年。

3月に入った頃から無力さを覚えて悲しさに取り付かれる日が数日ありました。

 

ぽーんて逃げてきて、私はこれで良かったのか。

 

2011年3月14日に書いた日記には

「東北を動かすために動き始める」と書いてありました。

 

震災の悲しさに悶々としていたらある日能登島のお父さんがこんなことを

いってくれました。

「ある日方向性が見えてくる。そうなったときにやるべきことが沢山でてくる。

だけど、一気に片付けようとしないで自制して一つ一つこなしてゆくんだ」

 

私は今そんな時期なのかなと思います。

 

 

自分のことしか考えてない私がいる心苦しさと東北が好きなこと。

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甘夏宝石

甘夏をふたっつ頂いた。

 

皮をジャムにしたら美味しいよ♪

と教えていただき、柑橘大好きな私はジャム作りに励む。

 

途中でピールも作ってみたくなって半分行程を変える。

 

一つはコトコト

一つはカラカラ

 

朝少し早起きしてグラニュー糖をつけた。

また乾燥するために網かごへ。

 

その姿があまりにもきらきら輝いていて、

少し早起きの醍醐味を感じた日。

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こんな暮らし

引っ越しのお家で障子はがし。

 

昔々、家の障子はがしをした。

年末は杵と臼でお餅をついて、年始はどんと際に行って。

そんな家で生まれたことがありがたいと思った。

 

社会人になり毎日テンプレートのような生活を送っている気がした数年間、

振り返ればそんなことはなかったのだけど。

 

やっぱり日常の中にこんな日があると

あー、こんな暮らしが馴染むな。

 

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